大和朝廷側が切り開き、「続日本紀」にも登場する古道「有屋峠」(秋田県湯沢市秋ノ宮―山形県金山町)をめぐり、通説とは異なるルートの存在が浮上している。街道探訪を愛好する秋田、山形両県の約40人が19日の現地調査で、従来ルートより北側の尾根にいにしえの道跡を確認した。参加者らは「今回の道跡が有屋峠だと確信した。1200年以上前の古道を広く世に知ってほしい」と話し、活用策などを検討する考えだ。
有屋峠は、奈良時代に朝廷が今の秋田県南に設けた雄勝城へ通じる官道。安土桃山時代には秋田側の小野寺氏、山形側の最上氏の合戦場として、戊辰戦争では政府軍や奥羽越列藩同盟軍の進路として歴史の舞台にたびたび登場してきた。
周辺の道路整備が進むに連れて有屋峠は廃れ、いつしか、県境に位置する「黒森と水晶森の間にある尾根を抜けるルート」が通説として今日に伝わっていた。
ただ、通説ルートは文献や地元住民の話と相違点が多い。これに疑問を持ったのが、天童市の無職矢野光夫さん(67)ら。昨年4月に有志で「有屋峠街道探索会」を結成し、「真」ルートの解明に取り組んできた。
探索会は現地の地形などから、金山町側から入有屋―鉤掛(かぎかけ)森―檜木(ひのき)森―黒森―薄久内(湯沢市)と、尾根筋を結ぶ約10キロが真の有屋峠に間違いないと考えた。
矢野さんは(1)通説のルートはこう配がきつく、馬が通るのは難しい(2)新ルートには史書「奥羽永慶軍記」の記述と地形が符号する場所がある(3)新ルートに幅3メートル前後の道跡が連続して現存している―ことを根拠に挙げる。
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